20190326
思った
卒業式が終わり、いつも通りワイワイ騒いだくだらない飲み会が終わって帰宅した。窓から入ってくる少し白んできた空の色が映った天井を、スーツ-焼き鳥のせいで煙臭くなっている-も脱がずに眺めた。色々なことがあった。別に期待もしていなかった大学生活だったのに。第一志望でもなかったし、勉強したいこともなかったし、友達も1人もいなかったのに。
次の日1限から試験があるのにカラオケオールをした。飲み会でお酒を1杯しか飲んでないのに気分が悪くなり自分は下戸だと知った。研究室という響きだけは立派な部屋で友人と日付が変わるまで駄弁った。思い返せば平凡な学生生活ではあったが、平凡だからこそ楽しかった。気付いたら神戸の街を人に案内できるくらいには知っていたし、これからの人生で付き合っていきたいと思える学問も見つけたし、友達も両手では数えられないくらいにはできた。つくづく運が良い。
こんな感傷的なことを書きながら、自分はまだ2年も学生を続けられる。でもきっと4月から社会人になっていく人は変わりゆく環境の中で感情に浸る間もない気がする。4年前の私たちが4年かけてしてきたように、新しい街に馴染み、仕事にやりがいを覚え、上司や同僚や後輩との関係を築き、人生のステージを進めていくのだろう。だからまだこの街に残って、身分もさほど変わらない私くらいは柄にもなくそういう気持ちに浸っておこうと思った。「また会おうね」「絶対社会人になっても遊ぼうね」というのは、もはや願いだ。きっと目の前の生活にあたふたしていたら大学生活のことなんて忘れてしまう。仕方ないことだ。私だって今さら定期的に中学生の頃を思い出したりはしない。それでも1年に1度でも、3年に1度、いや10年に1度でもいい。美味しいものを食べながらあの頃は良かったと話をしたり、飲めないお酒片手に恥ずかしい話をしたり、誰かの家で駄弁りながらゲームをしたり、何でもいいからこの間までやってたみたいに集まりたい。変わっていくことは知っているけど、変わっていったことも認めたい。
とっ散らかった文章になってしまったけど、これを2年後また卒業するときに見返したら、何か変わっているだろうか。短い春休みはもう少し続く。