カレーのライスを炊き忘れ

まいにちたのしくにっき!

20190117

食べた

  • 朝:味噌汁
  • 昼:フルグラ
  • 夜:モクモクファームのお惣菜バイキング

読んだ

>"税金を使った機関"では"ヒゲの職員"がなぜ許されないのか、問いたいな

>いい発想だと思うけど、両足にめちゃくちゃ注射されたの痛い

>あっ欲しいあっカフェで作業とかするタイプじゃないけど欲しいあっ

思った

昼に起き出して、なんばまでラウンドワンのスポッチャに行った。大学4回生の22歳が行くところではない。でも"大学生っぽい"ことができるのも今のうちだからな…。なんだかんだ夜まで楽しみました。

友人が髪の毛をブリーチしていて、大学も終わりに近づいているというのに何を…と思っていたが、意外と似合っていて悔しかった。ここまでの人生、髪の毛の色を変えたことがないのでちょっと羨ましい。毛先くらいなら染めてもいいかな、とか思い始めてる自分がいて怖いです。2019年はそういう年にしちゃう?

話は変わるが、私は自分が正しいことが多い、もしくは間違えたとしてもこれは私の人生なのでこれで正しかったんだと、何らかの形で自分が肯定してあげるべきだ、と思っている。だから人生における選択的な何かを人に相談するという行為をあまりしないし、したとしたらそれはきっと解決策を提示して欲しいのではなく自分だけでは肯定しきれない部分を外から肯定して欲しいとか、そういう不純な欲求の混じったものだと思う。

勿論、そういう相談が単なるコミュニケーションとして行われるんだったら、それはそれで雑談の一種として存在していいと思うが、やはり相談するとなると、その内容がどうしても自分の弱さや醜さを見てもらうようなものになってしまうことが多い。例えば恋人の愚痴とか仕事の愚痴とか。そしてさらに良くないことに、相談に乗ってくれる人々は大抵弱ってる私を見て優しくしようとしてくれるから、割と肯定が多めの返答をする。そうすると「ああ、私は間違えていないのか」とか「やっぱ向こうがクソだよな」とかそういうマイナスの色々が増幅されてしまう傾向にある気がする。これは良くない。

だから本当に弱っていたり困っていたりするときほど、人に相談するのではなく、自省を行うべきだなと思った。相談はもっと自分に余裕があるときに「もし興味がおありでしたらお話しさせてもらってもいいですかね…」くらいのテンションでやるぞというスタンスでいた方が、建設的な選択ができるんじゃないか?

とは言ったものの、何の悩みもないので2019年はこのままぬるっと過ぎていってくれたら嬉しいですね〜〜〜〜!

聞いた

ギャラクシーみんなハピネス

でんぱ、偏差値2でも聞けてすごく良い。