20190420
食べた
- 朝:フルグラ
- 昼:そば
- 夜:中華粥
観た
愛がなんだ
最初から最後まで誰の恋愛もうまく行かず、全員の関係が綻んでいってしまうお話。原作を以前に読んではいたのだけれど、どうしてもこの話の救いのなさというか、しかもそれが全て登場人物たちの不器用さとか愚かさに起因しているというのが感情にどっと押し寄せてくるものがある。最後に恋愛映画を映画館で観てかなり久しいが、やはりこういう一筋縄ではいかないお話が好きだ。トントン拍子で結ばれていくストーリーだと「あ、これフラグかな」「ん、こいつ病気になるな」とか穿った見方で次の伏線を看破しようとしてしまうものだ。
この物語に出てくるテルコはマモちゃんという男の人が好きすぎるあまり、仕事をクビになったり、これまでの人間関係をぶち壊したりと、まあ現実世界にいたら明らかに地雷のような女性なのだが、どうも憎めない。それはきっと彼女のあまりにも直線すぎる生き様が、なりふり構わず対象をロックオンし向かっていく姿勢が、人間味に溢れすぎているからだろう。そして私はこうした人間味をどうも持ち合わせていない。恋愛という他人依存の激しい行為に身を任せてしまうことは愚かだと思ってしまうし、そんな愚かなことで一喜一憂して人生が悪い方向に向かっていくことだけは避けなければならないと考えている。つまり切り替えが大事なのである。深追いはしない、させない、持ち込ませない。恋の三原則です。だからこそテルコの一見、バカで向こう見ずで粘着質で泥臭い恋愛を見ていると「人間は他人のためにこうも真っ直ぐになれるのか」と半分疑い、半分憧れたりしてしまう。
ちなみにテアトル梅田で初めて映画を観たのだが、そこで頼んだ「桜ジンジャエール」が結構美味しかった。でも、桜じゃなくて梅の味がした。
思った
自分のポートフォリオを作り直したり、掃除をしたりして日中を過ごし、夜にはレイトショーを観に行った。心因性なのか分からないが、半年前くらいからトイレが近くて困る。CMとかでやってる過活動膀胱ってやつか?疑いながらも私の中にある小さなプライドが泌尿器科に行かせてくれない。
今日ふと思ったのだが、いつから私は平然とした顔で女性と2人でも濡れ場のある映画を観れるようになったのだろう。中高生の時はもっとドギマギしながら隣に座る女の子の顔をチラチラと確認しては下を向いてみたり足を組み替えてみたりしていたような気がする。キモいけど今思い返すとかわいいじゃないか。それがなんだ今となっては。「ふーん濡れ場じゃん」というような感想しか持たずに濡れ場に向き合いやがって。濡れ場に失礼だろ。濡れ場だってお前に観てもらうために撮られてんじゃないんだよ、もっと高尚なんだ。でも22にもなって濡れ場でドギマギしている男性、どう見ても地獄絵図なのでやはり人間、節度が大切ね。