カレーのライスを炊き忘れ

まいにちたのしくにっき!

10月になったはずなのに空気がねっとりしていて良くない感じがある。最近は0時に布団に入って、スマホで漫画を読んだりTwitter眺めてたりしたら1時半とかになっている。朝は9時にはパソコンに向かいたいので、8時半に起きようとしているが大体9時に起きて9時10分から始業している。残業してやるような仕事も最近はないので、ほぼ定時に上がれば18時半には退勤できる算段。とはいえチームのメンバーは皆夜ご飯食べてからも仕事したりしていて、なんだかちょっとやりづらさはある。あまり周りを気にするタイプではないと思っていたけど、多少気にしているぽい。残業してもパフォーマンス上がらないタイプだと自分に言い聞かせて、短時間で集中してやれることをやるしかない。まあ、仕事なんてテキトーでもなんとか回るし、仕事するために生きてる訳ではないので、最近はそれくらいのマインドでやればいいとは思っている。人に迷惑をかけたり、リスペクトが欠けたりするのは良くないので、その辺りは最低限担保しつつ。

またどこかで

犬派か猫派か?という質問はナンセンスだと思う。犬も猫もかなり可愛いので、どちらも好きでいいと思う。世の中は二元論で溢れすぎている。とはいえ犬と猫を同じ空間で飼うのは色々と大変である。それに15年前の私はちょうど犬にどハマりしていて、特にスヌーピーの漫画が大好きだった。そんな時に君は我が家にやってきた。

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知り合いのブリーダーさんからビーグルの子供が産まれたという知らせを受けて、すぐに見に行った。てっきりスヌーピーみたいな、白黒の二足歩行の犬がいるんだとばかり思っていた私は、茶色と黒と白の子犬たちを見て拍子抜けした。でもそれはそれで可愛らしかった。好きな子を選びなさいと言われて、1時間くらい悩んだのを今でも覚えている。結局なんとなく、1匹だけ隅っこでグーグー眠っているメスを選んだ。名前は当時好きだったポケモンの「ウィンディ」にしたかったが、妹に却下された。その妹が当時好きだった「おしゃれ魔女ラブ&ベリー」の「ラブ」か「ベリー」の2択で家族会議となり、名付け親戦争に負けた私は「ラブ」じゃあまりにも甘すぎるから、せめて「ベリー」にしてくれと懇願した。

ベリーは本当にやんちゃで、なんでも食べる犬だった。小学校の友人がうちに遊びにきた時なんか、彼のPSPというゲーム機のメモリーカードをズタズタに噛み砕いたりしていた。どうやって引っ張り出したのか見当もつかない。彼は優しくて、許してくれたけど、彼が帰った後にバカ犬と喧嘩した。

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ご飯を食べる量も半端じゃなかった。ある日、私が学校から帰ると余りにもお腹がパンパンになっている彼女を見て、妊娠しているのかと勘違いするほどだった。そのあと物置のドアが開いていて、ドッグフードの入った袋を破って、1kgくらい食べていたことが発覚した。人間の私より食べるのかよ、とドン引きした。いつも一緒に寝ていたが、上に乗られると重くて暑くて、足でどけたりすると、夜中に噛みつかれてよく起こされていた。それでも何故か同じ布団で寝ようとするバカ犬だった。

私が地元から遠い中学/高校に入学してから、彼女と過ごす時間がどうしても減ってしまった。仕方がないことだし、当時は正直あまり寂しいとも思わなかった。

ある週末に久しぶりに公園に一緒に散歩に出かけた。子犬の頃によく遊んでいたグラウンドでボール遊びでもするかと、ボールを思いっきり投げたが、彼女は見向きもしなかった。本当にバカ犬である。なぜ飼い主がセルフで玉拾いしなくちゃいけないんだ。今思い返すと、その時もう8~9歳になっていた彼女は人間で換算すると50代後半くらいだったので、もうボール遊びを嗜むような年齢ではなかったっぽい。すまん。

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大学に入るとますます彼女と会う機会は減った。私は実家に頻繁に帰るタイプの学生ではなく、お盆や年末年始もバイトをして過ごしていた。年に1回帰るか帰らないかくらい。たまに会う彼女は、いつも最初の数分間完全に私のことを忘れているんじゃないかというくらいよそよそしかった。これだからバカ犬は困る。実は相当ショックだったし、「家を出る」ということを目に見えて実感したのはこれが初めてだったから、ちょっと堪えるものがあった。

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最後に彼女に会ったのは今年の3月だった。随分毛の色が薄くなり、左目が白内障になってしまって濁っていた。認知症も少し出ているみたいで、ベッドで眠っている時間が以前よりも長くなっていた。それでも、これまで一度も大きな病気をしたことのない彼女である。ご飯だって食べなかった日がない。食い意地だけは子犬の頃のままである。だから、心のどこかでまだまだ元気でいてくれるだろうと思っていた。

それが今朝、眠るように亡くなった、と実家から連絡があった。数日前から具合が悪いという話は聞いていた。獣医さんにも頬にある腫瘍が骨髄に転移していて血を作る機能がやられてるのでもう長くはないです、明日かその次の日か....と言われていたらしい。それならそれでもっと具合悪そうにしろよ。その前日までめっちゃ飯食って散歩も行ってたらしい。つくづくバカ犬である。あまりにも急な余命宣告に、家族も私もよく意味がわからなかったし、また明日からもたくさん飯を食って「さんぽ!」とはしゃいでくれるんじゃないかと何故か信じていた。しかしそうもいかず、すんなりと息を引き取った。何も苦しそうにせず、眠ったまま気付いたら息をしていなくて、そのまま目を覚まさなかったらしい。15歳と半年も生きてくれた。

実家に帰る選択肢もあったが、両親も若くないし祖母もいるので、コロナ的なアレで今回は帰らないことにした。私がスヌーピーに憧れて、私がたくさんの子犬から彼女を抱き上げたのに、最期を看取ってやれなかった。次に実家に帰った時にはもう彼女がいないということが想像もできない。ペットはあくまでもペットだと思っているし、こうなることも分かってはいたのに、何かぽっかりと穴が開いてしまったような感覚だけが残ってしまっている。

たくさん散歩して、たくさん美味いもん盗み食いして、たくさんみんなに愛されて、幸せだったかな。あっちではちゃんとダイエットしろよ。またね、バカ犬。

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何のために働いているのか

最近は何のために働いているのかいまいち分からなくなっている。これは別に今の職場環境が悪いとか、そういう話ではなくて、私の人生の向き先とか、そういうレベルの話である。

ソフトウェアやその周りの仕事をすることは楽しくて、ある程度適性があって、それなりにうまくやれているつもりである。しかし、ふとした瞬間になんだか収まりのいいところに収まった自分が嫌になることがある。本当にやりたいことが見つからないまま、ヌルッとサラリーマンになって、その生活に体が馴染んでいく。雇われて働くのはとても楽で、心地が良い。

でも何かが違う。見えない誰かのためにサービスを作って、動かして、それが私や会社や社会にとって、何になるのかよく分からない。もっと目の前で苦しんだり困ったりしている人に、ダイレクトに役に立ちたいと思うことがある。しかし、その役に立ちたい内容は具体的には何も思い付かない。多分それくらい薄っぺらい使命感やそれに似た何かなんだと思う。今の会社でのソフトウェア開発という仕事は今のところ、その使命感ライクなものを(私にとっては)満たしてくれるものではない。

この空虚な違和感には多分様々な原因がある。例えば触っているレイヤがそうさせているのではないか?とか事業領域が違えばもっとクリティカルでエッセンシャルなサービスに従事できるのでは?とか会社の規模が小さければ自分が会社のために何かを為している気になれるのでは?とか。多分どれも少しずつ、この問題を引き起こしているものだと思われる。

とはいえ、じゃあ転職しましょうか、という結論を引き出すにはまだ早い。私だって自分がまだまだペーペーの新卒で、スーパールーキーでも何でもないから、このまま転職したとしても自分の求める給与水準にはちっとも届かないスキルしか持ち合わせていないのは分かっている。仕方がないけれど、お金はとても大切である。それに、これからもっと裁量のある仕事が巡ってくれば、仕事への考え方やモチベーションも大きく変わる可能性だってある。自分がまだ研修から卒業して少ししか経っていないことも頭の中では分かっている。それでも何かを為したい、これは誰の役に立っているんだ、などと考えてしまう。

結局何かを変えるとか、そういうことは今はできないし、しない方がよさそうだと思う。何も具体的にやりたいことを描けていない状態では、どこに行っても何をやってもダメなのは自分が1番分かっている。いつ終わるのか分からないコロナウイルス周りの息苦しさも相まって、きっと少し参っているだけでもある。

適度にインプットを行い、自分にとって都合のいい情報を手にして、適度に吐き出せているうちは大丈夫だと思っているから、今もこうして書き出しているうちにかなり落ち着いてきている。

多分こうやってだましだましやっていくしかないし、それで意外と10年20年やっていけるもんなのかなあ、とも思う。

引っ越しました

無事引っ越しました。歩いて5分の距離に新しい家があるの、意味が分からないと思いますが、もう神戸に来てこれを3回やっている。7月末に内覧し、部屋に一目惚れ。物件ファンにも載っていた物件で、まさか本当にあの物件ファンに載っている物件に住めるとは思っていなかった。ついに「物件ファンに載っている物件に住んでいる人」になってしまったわけである。部屋は1LDKで、駅徒歩2分。1階にはジムとコンビニが入っている建物で、家のすぐそばを川が流れている。部屋からは山と海と観覧車が見えて、全てが広い。家賃は安くはないが、同居人と折半なので高くもない。というか大学生時代から住んでいた元々の部屋が安すぎた(4万円)。エレベーターなし6階で、管理会社はすぐ音信不通になり、風呂とキッチンが死ぬほど狭くて、カーテンのない家だった。引っ越しは美味い飯を友人に食べさせることで買収し、過酷な労働をさせた。本当にありがたい。足を向けて寝られない。やはり長い時間過ごす家が便利で居心地がいいのは、QOLの高まりを感じる。もうこれ以上不便な部屋には今後住めない体になってしまうかもしれない。コロナが早く落ち着いて、ひっきりなしにこの家でパーティーをやりたい。